大航海時代オンライン    ビタパランの冒険日記

by p_amamiya
 
大航海時代の先駆け
大航海時代の設定が1500年代だとすると、それよりも100年も早く行われた大航海があります。
中国明代の武将、鄭和(ていわ)は船団を率いて東南アジアインドからアラビア半島アフリカまで航海し、最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディまで達しました。
鄭和の船団の最大の船は宝船とよばれ、全長は120mを超える大型船だったようです。


鄭和の大航海

1405年6月、楽帝の命により第1次航海へと出る。 『明史』によれば長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)という巨艦であり、船団は62隻、総乗組員は2万7800名余りに登る。
蘇州から出発した船団はチャンパ→スマトラ→パレンバン→マラッカ→セイロンと言う航路をたどり、1407年初めにカリカットへと到達した。この船団の主な目的は途中の国々に対して明へ朝貢を求める事と南方の様々な産物を持ち帰る事である。

1407年9月、帰国後すぐに再出発の命令が出され年末には第2次航海へと出発した。 航路はほぼ同じだが、今度はタイ・ジャワなどを経由してカリカットへ至った。帰路の途中でセイロン島に中国語・タミル語・ペルシア語の3ヶ国語で書かれた石碑を建てている。

1409年の夏に帰って来た鄭和は再び再出発を命じられて年末に出発した。今度もほぼ同じ航路でカリカットに到達したが、帰路のセイロンで現地の王が鄭和の船に積んである宝を強奪しようと攻撃してきたので鄭和は反撃して王とその家族を虜にして本国へと連れ帰り、1411年七月に帰国した。
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4回目は、1413年の冬に出発。カリカットへ至るまではこれまでとほぼ同じ航路を取り、そこから更に西へ航海してペルシャ湾のホルムズやアラビア半島南のアデンなどに到達した。帰路の途中、スマトラで現地の王の要請で兵を使って反逆者を討ち、1415年7月に帰国した。

5回目は1417年の冬に出発し、本隊は前回と同じくアデンまで到達したが、途中で分かれた分隊はアフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達したと言う。1419年8月に帰国したが、この時にはライオン・ヒョウ・ダチョウ・シマウマ・サイなどの珍しい動物を連れ帰っている。

6回目は間があいて1421年2月になるが、これは今までとは違って朝貢にやってきていた各国の使節を送るためのものであるからである。今度もほぼ同じ航路を取って、帰国は1422年8月であった。

7回目は永楽帝の死後に彼の孫の宣徳帝の命令による。出発は1431年12月で、既に鄭和はかなり年を取っていたが、彼に代わる人材はいなかった。この時に別働隊はメッカに至ったという。帰国は1433年7月。帰国後にほどなくして死去した。

※フリー百科事典『ウィキペディア』より引用



DOLでも、鄭和艦隊の大航海の軌跡を辿るクエストがあり、各地に残された船団の遺品(羅針盤、航海誌、船首像)を発見することができます。


鄭和艦隊の予想航路※クリックすると大きくなります。
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ちなみに、鄭和艦隊の船首像は装備することも可能なのですが・・・
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彼の残した功績を称えると、もう少し良い物を期待したいところですが・・・
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by p_amamiya | 2007-05-13 08:53 | 大航海時代
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